文章を読むときに、ぼくたちが考えること

最近、けっこう真剣に英語を学習するようになって、気づいたこと。それは、文節を意識して読むということ。
わかりやすく日本語で例えると、先日コメントさせていただいたid:yagianさんのブログ定点観測 - Everyday Life in Uptown Tokyo on Hatena

ヒョードルや数年前のシウバみたいなライバル不在の絶対王者は見ていて切なくなったりします。

とコメントさせていただいたが、もしもこの文章が

数年前のシウバやヒョードルみたいな...(以下略)

となっていたらどうだろうか。「数年前の」という形容詞がシウバとヒョードルの両方にかけて読んでしまうかもしれないし、そうでないかもしれない。
しかし、ぼくはこの文を書くときは「数年前のシウバ」と「ヒョードル」を引き合いに出したかったので、意識的に「ヒョードルと数年前のシウバ」という順番で書いた。これならおそらく意図した通りに読んでもらえるだろうと思って。
慣れない言語を読むときは単語の単位では辞書を引けばわかっても、文節や文章の単位になると混乱の度合いが高くなる。きちんと文節を区切って読めるようになるまで、繰り返し学習して覚える(慣れる)しかないみたいだ。

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ところで、英語を学習するというのはなんていうか、不思議な作業ですよね。何か、記憶の奥底を洗い出してるような。
英語を使って言語というものを頭の中で再整理しているような感覚になります。
関数型のプログラミング言語を学習してみたり、スノーボードで、レギュラーでずっと滑ってたのをダックスタイルにしてグーフィーに挑戦してみるような、そんな感じです。