村上春樹についていろいろ

2005-05-08を何気なく読んで、村上春樹についていろいろと考えてみた。

2005-05-08より引用
村上春樹の小説を時系列に沿って読むと、「国境の南、太陽の西」「ねじまき鳥クロニクル」が大きな転機になっているような印象をうける。簡単なことばでまとめると、そこからこぼれ落ちるものが多いけれど、あえて簡単に言えば、この二作品以前の小説は喪失がテーマだったが、二作品以降は喪失を乗り越えた獲得がテーマとなっていると思う。

確かに「スプートニクの恋人」の最後は、他の作品には見られないほど、ポジティブである。他にも、(これは短編小説だけれど)「神の子どもたちはみな踊る」の各作品も、そういった意味での決意が込められている。
これはぼくの推測なのだけど、こうした作品の変化は、海外での生活と神戸の震災が作者に与えた影響も少なからずあるかもしれない。
村上春樹河合隼雄に会いに行く」の中で村上春樹は、「自分は今までずっと社会からデタッチして生きてきた。しかし海外で生活するということは、嫌でも自分が日本人だということを意識しなければいけない。」みたいな意味のことを言ってる。
それから、ねじまき鳥の解題でも、神戸の震災にとてもショックを受けたことを吐露している。
(ぼくは解題を読むまで知らなかったのだが)ねじまき鳥は、本当は第2部で完結していたみたいだ。第2部作成後、1年間というブランクの後で、村上春樹は、この小説に1歩突き進んだ結末を付記した。
海外での生活、日本での様々な出来事(オウムとか神戸大震災とか)といった事件が作者に影響を与えている、と見るのがぼくの見方なんだけど、しっかりまとめようと思うと、今の自分ではちょっと力量不足なので、この程度で勘弁してください。