グレートギャッツビー

スコット・フィツジェラルドのグレートギャッツビーを再読した。最近はなんとなく本棚を眺めて、前に1度読んだことのある本を読み返すのが癖になっている。
この本に関して言えば、まず訳者に心惹かれるところがある。野崎孝という人物の翻訳モノがぼくは大好きなのだ。といってもキャッチャーインザライは村上春樹訳を所持しているのだが、それ以外のナインストーリーズや、フラニーとゾーイーその他いくつかの20世紀初期のアメリカ文学をこの人の翻訳で読めることにとても感謝を払っているというか、敬意を感じているのである。
グレートギャッツビーの出だしにこんなくだりがある。

「ひとを批判したいような気持が起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思いだしてみるのだ」

ちょっと思い出してみれば良いんだ。自分みたいに恵まれているわけではないってことをね。初めて読んだときはこの言葉にグイっと心掴まれたし、今回再読した際にも同じように感じるものがあった。
ぼくはこの本を原著でも所有しているのだが、ぼくの拙い英語力では読むこともままならないほど、捏ねた言葉で書かれているのだけど、こんな調子で流暢な日本語に置き換えてくれてもらえると、とても読んでる方としては、気を落ち着けて読むことができるのである。レイモンド・カーヴァーを翻訳している村上春樹にも、同じことが言えると思う。
村上春樹ノルウェイの森の中で、グレートギャッツビーは読み返すたびに新しい発見があると書いている。ぼくも彼に賛成である。