ぼくは自分の世界で自分のことを語る

いろんな議論が世の中にはあふれているけれど、その大半の議論に、ぼくはのめり込むことができない。だってみんなが自分自身の好みを語っているにすぎないんだもの。
自分の考えてることや希望を表に出すことは悪いことではないけれど(とってもよいことだと思うこともある)自分の意見だけを言いっぱなしで、私はこう思う、私はこう考えている。ばかり言ってるような話し合いをたくさん見る。

まあWeb上で他愛もない話を繰り広げるだけなら問題にはならないのだけれど(なってる場合もあるけど)、日常生活の中で、しかも学校の課題とかビジネス現場でグループワークをしている過程で、なにかしらの状況判断、分析を行わなければいけないときに、俺はこう思うなあ、と言われるだけで話が進まないのはとっても怖いことなのだ。そんな状況になったらどうすればよいのか、現実的に考えなければいけない。現実的に考えるとはなんだろう。
ぼくはここ(はてな日記の中の自分の世界)で、自分のこと(自分にとって現実的とはなにか)を語りたいと思う。「全体としての状況を確認して、目標とのギャップをはかる。そして今すぐにしなければいけないことをすぐに行う。小さくても一歩踏み出してみること」こんな感じで考えている。

だからといって、こんなくだらないことをわざわざ他人と協議しようなんて必要がない限り思わないのである。だってこんな考えというのは、ぼく個人の考えなのであって、他人の意見とはまったく相違なんだから(絶対合うはずがない)。
同じような理由で、自分の好きな本、作家、プログラミング言語、などを自分の嗜好として表すのは、何かしらの違和感みたいなものを感じる。「それで、俺は何をしたいんだ?」そんなことをついつい考えてしまうのである。
それでも、他人の意見に傾けることは好きなので、そんなときには自分の考え方も、一つ一つこっそりと、引き出しからあけてみたりする。ささやかだけど、役にたつと良いなと思いながら。

ということを、村上春樹の小説やエッセイなどを読んでいると考えてしまう。
彼もこんなことを考えてるのだろうか。ぼくは思わず想像せずにはいられないのである。