ダンス・ダンス・ダンス

バブル経済絶頂の時代に書かれたこの小説。村上春樹の著作にしては珍しくメッセージ性の強い作品になっている。

文庫版のP.211より引用
「そういう考えは本当に下らないと僕は思う」と僕は言った。「後悔するくらいなら君ははじめからきちんと公平に彼に接しておくべきだったんだ。少なくとも公平になろうという努力くらいはするべきだったんだ。でも君はそうしなかった。だから君には後悔する資格はない。全然ない」
...
「僕の言い方はきつすぎるかもしれない。でも僕は他の人間にはともかく、君にだけはそういう下らない考え方をしてほしくないんだ。ねえ、いいかい、ある種の物事というのは口に出してはいけないんだ。口に出したらそれはそこで終わってしまうんだ。身につかない。君はディック・ノースに対して後悔する。そして後悔しているという。本当にしているんだと思う。でももし僕がディック・ノースだったら、僕は君にそんな風に簡単に後悔なんかしてほしくない。口に出して『酷いことをした』なんて他人に言ってほしくないと思う。それは礼儀の問題であり、節度の問題なんだ。君はそれを学ぶべきだ」

村上春樹の他の小説を見てもダンスダンスダンスほど社会に訴えかけるようなメッセージを持つ小説は(ぼくが思いつく限りでは)存在しない。ハードボイルドを基本にするこの作者にしてはいささか珍しい。
しかし、それはそれで良いことかもしれないけれど、他の部分でとても引っかかる箇所も発見した。村上春樹の小説に出てくる登場人物は「とても特別な」人間になっている。
「他とは違う」「俺たちは特別なんだ」というどうしようもない裏メッセージが強く流れてる。ここはおそらく前作の「ノルウェイの森」の流れを引きずっているのかもしれない。
村上春樹の小説は「優しさ」を持った小説ではあるが、それは360度の方向に向けた優しさではない。決定的に足りないものがある。
それが補完されない限り、ドストエフスキー並に優れた小説は書けないだろう。