レイモンド・チャンドラー - 「長いお別れ」(とグレート・ギャッツビー)

圧倒的に面白く、かっこよい。ハードボイルドの原点。読むことに飽きない。1人称の文体を引き立てて、上手に推理小説を作り上げている。
アメリカ人の80%〜90%はとんでもない偽善者でクソッタレだけど、数少ない天才は確実に世界へ衝撃を与えている。レイモンド・チャンドラーはその少数派の1人。
村上春樹は「グレート・ギャッツビーに出会わなければ今とは違った小説を書いていたのではないか」と言ってるけれど、文体に関してはレイモンド・チャンドラーからの影響が大きく見えるのは、ぼくだけだろうか。
それに、正直言って、村上春樹訳のグレートギャッツビーはあんまり面白くなかった。期待が大きすぎたのかもしれない。解説では「冒頭と結末に特に気を使った」と書いている。確かにぼくも初めてギャッツビーを読んだとき*1は、冒頭の父からの言葉には深く考えさせられるものを感じたし、最後の文章はアメリカという国をよく表している。
しかし、村上春樹訳の文章はとてつもなく読み難い。これで気を使ったのか?と思えるほどに。期待が大きすぎたのだろうか?ぼくの読解力が追いついていないのだろうか?
村上春樹を知る人間なら、ギャッツビーの「オールド・スポート」も「オールド・スポート」と訳すことを簡単に想像できたはずだ。解説では「ずいぶんと長い時間をかけてこの問題に取り組んだ」云々と書いているが、せめて候補に浮かんだ言葉をいくつか挙げて欲しかった。*2
村上春樹の良さの1つは「読ませる文章」にあったはずだ。それがギャッツビーでは影をひそめている。文章は読みにくく、イライラする。長い時間をかけて熟成させたせいで、その形がイビツに変化してしまったのかもしれない。
せめて、「ロング・グッドバイ 」では、綺麗にシンクロして欲しい。ぼくを読書に導いた作家として、期待したい。もちろん、あくまでも個人的に。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
ロング・グッドバイ
長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))
グレート・ギャツビー (新潮文庫)

*1:野崎孝

*2:ぼくは野崎訳の「親友」をとても気に入っているけど…。